1/23/2008

Intellectual Work is a New Physical Labor

PC の調子が悪い。どう悪いかというと、PC を起動させようとしても BIOS 画面すら出ない時がある。最近までは、そういう時は一回起動し直せば通常通りに起動出来たのだが、先日ついに何回起動し直しても駄目になってしまった。

異変に気づいた時にちょっと調べて、どうやら HDD が原因のようだというのは分かったのだが、エラーチェックをしても異常は無いし、起動してしまえば何不自由無く動いていたので、これといった対策もせずにいた。とは言うものの、いつかこういうときが来るだろうとは思っていたので、あらかじめある程度頭の中で HDD 死亡時のシミュレーションしていた。その手順はこういうものである。

  1. HDD 死亡確認
  2. あらかじめ用意しておいた KNOPPIX の DVD を挿入
  3. KNOPPIX の起動
  4. 外付け HDD へデータを退避
  5. 新しい HDD に Windows をインストール
  6. Windows 起動
  7. 新しい HDD に退避させたデータを移行
  8. (゚Д゚)ウマー
KNOPPIX というのは CD/DVD のみで起動できる GUI 型の Linux ディストリビューションである。過去に一度この方法で実績があったので、起動しなくなってもたいした焦りは無く、シミュレーションしていた手順を思い出しながら KNOPPIX の DVD を探した。ここまでは良かった。というのも、肝心の DVD が無いのである。どうやら去年末の大掃除が近年稀に見るほど大掛かりなものだったからか、その時に間違って捨ててしまったらしい。素晴らしい。やはり人生こうでなくてはつまらない。などと流暢なことは言っていられない。しようがないので、いつものように原始的に起動を試みることにした。

普通に電源ボタンを押しても起動しないので、PC ケースの蓋を開け、相棒の LED ライト片手にハードウェアの接触を確かめながら起動を試みた。これが本当の IT ドカタかなどと思いつつも二時間ほど悪戦苦闘し、半ば諦め気味に電源スイッチを入れると見事に起動した。後で、一度起動させたまま放置して暖めさせてから再起動させると、上手く起動できることが分かるのであった。

起動してから、まず PC がどういう状態にあるのかを知るためにベンチマークソフトを使うことにした。今回止揚したのは CrystalMark 2004R2 という PC の総合的な性能計測ソフトウェアである。測ってみると、HDD の項目がやたらと低い結果にあるのが分かる。相対的な評価を知るために 2ch でこのソフトが使われているスレを探して見てみたが、やはりかなり悪いほうだということが分かった。この PC は自作なのだが、組み立てた直後に PC Japan という雑誌に付いていたベンチマークソフト PCMark で測定した時は概ね良好な結果だったのを覚えているので、違うソフトウェアとはいえ、これはかなり劣化していると見て間違いない。組み立てたのが 2005 年なので、約三年使用していることになる。寿命としては、かなり使い込んでいたしまあこんなところか。

2ch のスレを見ていると、どうやら HDD 各社が HDD の診断ツールを提供しているということが分かった。僕の HDD は Seagate 社製なので、Seagate 社が提供している SeaTools for Windows (概要) というツールで診断することにした。このツールには診断方法がいくつかあるが、ここの解説ページ (PDF) によると、基本的には 20-90 秒ほどの短期テストと 2-4 時間かけて行う長期テストの二種類のテストがあるようだ。Drive Self Test (DST)Generic の違いの記述が見当たらないが、ここ によるとどうやら Generic のほうは他社の HDD の診断用のようである。これらのテストは途中でやめても HDD に影響は無いとのこと。

とりあえず Short DST から試してみると、プログレスバーが最後まで伸びたところで Aborted と出てテストが失敗する。何回か試しても結果は変わらず、Long DST に切り替える。四時間ほどでプログレスバーが最後まで到達したが、またしても Aborted の文字が出る。調べると、Windows 版でうまくいかず、DOS 版でうまくいったという例がいくつか見つかったので、DOS 版で試してみることにした。

DOS のほうは再起動して BIOS から行う必要があるようなので、先に HD Tune というツールで HDD を診断した。このツールでは HDD の簡易ベンチマーク測定とエラーチェックが行える。早速試してみると、結果はどちらとも概ね良好。Benchmark のほうの Burst Rate という項目の意味が良く分からないが、公式の説明 によると HDD から OS に読み込まれるまでの最速時の転送速度とのこと。結果がいたって平然ということで、この辺りで何か違和感が湧き上がるがそれが何かは分からず、SeaTools for DOS を試すことに。

念のために KNOPPIX CD を用意して再起動。SeaTools の DOS 版のほうでは DST, Generic という区別は無く、単に Short か Long の選択があり、プログレスバーも 1% ずつ更新されてゆく。僕の場合も DOS 版では両方のテストが正常に動作した。結果は問題なしであった。

ちょっとした安心感からか、先ほど用意した KNOPPIX を試したくなり、CD を入れて再起動させる。しかし、起動せず。ここでようやく違和感の正体に気づく。そもそも起動しないときはいつも BIOS 画面が出ていなかった。ということは HDD 云々の話ではなく、マザーボードか CPU あるいは電源がおかしいのではないかということである。何故今まで気づかなかったのだろうかと思いつつ、そちらを調べることに。電源に異常は見られない。CPU は異常があれば動作に如実に表れるだろうということでこちらの線も薄い。ということでマザーボードの線が濃くなるが、個人ではここまでが限界か。

BIOS が起動しなくなったときは BIOS の設定を初期化 (所謂 CMOS クリア) をするのが鉄板らしい。僕のマザーボード GA-8I915P Duo ではボード上のボタン電池を取り外して三分ほど待てば良いということで、CMOS クリアをして様子を見るということに至った。

使用したソフトウェアのバージョン:
CrystalMark 2004R2 [0.9.123.404] » Link
SeaTools for Windows [1.1.0.7] » Link
HD Tune [2.54] » Link

今回、CrystalMark で測定結果を出力させたものも リンク しておく。

参考文献:
» 電源が入らない!画面が出ない!BIOSが起動しない!パソコンが起動しない!Windows起動しない!トラブル・お問合せ

1/19/2008

Do The True Dreams of The Best Friend? #12

現代においては、様々なものがカテゴリ分けされており、またそこからさらに何段階にも渡り細分化されている。企業はマーケティングとしてそのカテゴリの網目の緩みを隅から隅まで探し、更に細かく網目を張り巡らせる。僕らはそんな世界に生まれ、育ってきた。

今 思えば、僕は常にこのカテゴリを意識させられて生きてきたように思う。好きな食べ物は肉系か魚系か、文系・理系、インドア派・アウトドア派、映画・音楽・ 文学の好きなジャンル、ドラクエ派・FF派。何かの嗜好の話をしていると、必ずといっていいほどどのカテゴリに属するのかという問題が生まれていた。

僕 は物心が付いたころから未知のものを知る欲求があり、こういったカテゴリに僕の欲求が収まらなかった。各カテゴリには、不思議なもので同時に属してはいけ ないカテゴリが存在する。実際にはそんな決まりなどは無く、ただの風潮なのだが、僕の欲求はとどまることを知らず、そういった風潮に関係無く様々なものに興味を示した。

とあるコミュニティで、その敵対関係とも言っていいような、ある種のタブーであるカテゴリの話が出た時に、僕がそのカテゴリに属していることを言うと、まるでここに居てはいけないような雰囲気が生まれた。実際これが原因でそのコミュニティとは疎通になってしまった。

こういったことは何度もあった。その度に僕は悩まされた。自分は間違っているのだろうか。未知なる物を知る必要なんてないのではないか。しかし、そんなことを悩んでも結局いつも欲望が勝ってしまう。いったい何故こんなことが起こるのだろうか。ここまで考えて、ようやく全てが繋がったような気がした。

1/18/2008

Do The True Dreams of The Best Friend? #11

皆の不満が爆発したきっかけはちょっとした、ミスとも言えない微妙なものであった。普通は店長の仕事ではないことを前の店長が善意でやっていたのだが、今 度の店長がその仕事にまで手が届かなかっただけである。別に支障はない。と思ったのだが、回りはどうやらそうはいかないらしい。会話の中に様々な尾ひれが 付いてきているようだ。

原因はどうあれ、これは実験のチャンスである。僕は待ってましたと言わんばかりにその選別に参加した。そしたらどうだろうか、今までが嘘のようにコミュニ ティ内に受け入れられ、情報の伝達が活発になるのを肌で感じた。僕は全てを理解した。と同時に、絶望的な壁を感じとった。僕はその 後、いつものように店長のフォローに回り、前店長も仲介して場が収まった。

僕はこの実験を通して二つのことを学んだ。一つは、僕が今まで所属してきたコミュニティが、悪の共有に基づいた差別化コミュニティだということ。僕は今ま で善、つまり肯定的価値観の共有によってコミュニティが形成されるのだと思っていた。しかし、どうやらそうではなくまったく逆の悪、つまり排他的価値観の 共有によってコミュニティが形成されているようなのである。これらをそれぞれ肯定的コミュニティと排他的コミュニティと呼ぶことにする。

これは地図に例えると分かりやすい。例えば、Fという人との距離を近づけたいとする。Fさんは山手線沿線によくいることが分かっている。前にFさんは池袋 にいたことがあるという。この時、距離を近づけようと思ったらまず池袋に行くだろう。しかし、もし池袋にいなかった場合は距離感が実感できない(行けば見 つかると仮定する)。そうすると残った駅をしらみつぶしに探すしかない。肉体労働である。

では逆に、Fさんは池袋に行かないことが分かっていた場合はどうであろうか。この場合は初めから肉体労働である。が、先ほどのただ過去に行ったことがある という情報しか無かった場合より範囲が限定されているので、いくらか負担は少なくなる。そもそも、過去に行った情報があるおかげで指針があるように思える が、今いる場所に関する情報にはどこにも繋がらない。範囲が同じなだけで、本来はまったく異なった場所にある情報といえる。どちらの場合も初めから肉体労働が要求されるのだから、範囲が限定されたほうが楽というわけである。

おそらく、排他的コミュニティの目的はこのように範囲をいくつかに限定させて情報の効率化を図ることだと思う。そしてこれはカテゴリ分けに繋がっていく。

1/17/2008

Do The True Dreams of The Best Friend? #10

僕は今まで様々な種類のコミュニティに所属してきた。学校、アルバイト、サークル、短期派遣、インターネット。 思えば、こういった排除はそこらじゅうで当たり前のように起こっていた。

学校では「誰々のどこどこが駄目」「この前こんなことされた、許せない」「あいつキモい」なんていう言葉は日常茶飯事だった。それを知らずに、対象人物と話なんてしてしまったときにはかなり気まずい空気になる。酷い時には一緒に排除されることもあった。
他の場所でも基本的にはこういった人間の選別が行われていた。労働している人達はそんなことはないだろうと思っていたが、そんな甘い考えも簡単に打ち破られた。

僕は、あらゆることを自分で解決出来るようになりたいという欲望からか、今まで様々なアルバイトを体験してきた。スーパー、工場、居酒屋、事務所移転請負業者、イベントスタッフ、ボランティアなんかもやった。あるとき、新しく飲食店のアルバイトをはじめる時に、ちょっとした実験を思いついた。

その実験とは、いったんコミュニティ内で人格攻撃が行われ始めたら、自分もその意見に徹底的に共感するというものだ。僕はそれまでこういった行動を取ら ず、一歩引いてどちらのフォローもするといった対応をしていたので、こういった限定的なコミュニティではあまり他人と打ち解けることは無かった。そんな中 で周りを観察していると、どうやら皆共通の敵を持っているということに気づいた。それならば、自分も共通の敵を持つとどうなるのだろうかという好奇心から、この実験がうまれたのである。

新たなアルバイトが始まり、さっそくその実験を試そうかと思ったのだが、新店舗の開店から始まるからか、皆様子見といった感じでなかなか陰口が出てこない。よく観察していると、女子が多いからか皆協調姿勢で、まとめ役の店長もかなり目配りが効いていて優秀だ。これはしばらく様子見かなと思い、新しい風が入るまで自分も仕事に集中することにした。

何ヶ月か経ち、初期メンバーも皆仕事に慣れてきた頃に、店長が代わるという話がきた (後でこの飲食店は社員の移動が激しいことを知った) 。その時の店長がエリアマネージャという区切られた地域に所属する店舗全てを管理する役職に昇格し、新しく店長が来るというのである。色々アルバイト先を渡り歩いてきた僕から見てもその時の店長は優秀で、人間的にも尊敬できる人であった。周りの初期メンバーはかなり不安そうにしていたのが印象的だ。

そして新しい店長がやってきた。その店長は平凡な人であった。目配りもあまりせず、出てきた問題だけを片付けるといった感じだ。僕はこういう人とはやりや すい、何故なら自分で見つけた問題点や目標を優先できるからである。しかし周りはその落差からか、かなりの不満が滲み出ていた。そんな状態で続いたある 日、ついにその不満が爆発した。

1/16/2008

Do The True Dreams of The Best Friend? #9

僕が昔読んだ本で「欺術」という本がある。著者であるケビン・ミトニック氏はかつてFBIが最も恐れたハッカーで、本書は彼がどのようにして強固な企業のセキュリティを破り、情報を獲得するのかを自らの経験談を交えて小説形式で描いた作品である。

本書ではあまりデジタル技術のことは語られない。何故なら、彼が得意とするハッキング手法が「成りすまし」によるものだからだ。この技術をソーシャルエンジニアリングと呼ぶらしいが、所謂詐欺の手法なので、ここからタイトルに繋がるわけだ。

実際にどういった手口なのかというと、ある獲得したい情報から、その情報のアクセス権を持っている人物を調べ、その人物に電話し、何らかのトラブルを装って例外処置として情報を出してもらうというものだ。本書の原題は "The Art of Deception" という堂々たる名だが、内容は基本的にこの手法による手口が繰り返し書かれている。

本書の主張は一貫して「セキュリティの脆弱点は人間」というところにある。この主張の是非は、振り込め詐欺やWinny漏洩などが蔓延する我が国を見れば一目瞭然だ。ここでふと思い調べてみると、振り込め詐欺が急増した年と欺術が発売された年が同じという皮肉な結果が出てきた。

僕は本書を読んでいくうちに、著者の執拗なまでの人間の脆さの露呈と、それまでの自分の経験が絡み合い、人間は欠陥を持つ生き物だということを知らしめられた。これだけでは足りない?先日のこの記事は決定的だ。

人間は欠陥を持っている。たとえすばらしい倫理観、道徳観を持ち、それにしたがって行動していても、他人にとってのそれらから外れてしまえばそれは悪にな る。たとえそこに書かれているものが、感情論の入る余地の無い事実だとしても、視点の置き方一つで見え方が変わってしまう。人間が関与している限り、それ は事実の見方うちの一つでしかない。

なので、物事を理解し、解決するには、あらゆる視点を集め、己の経験から答えを導き出さなければならない。

1/15/2008

Do The True Dreams of The Best Friend? #8

ここまで様々な視点からBとのやり取りでの問題点を探り、様々な要因があることが分かった。それらの要因は全て異なる範囲での要因だが、これから生きていくうえではそんな限定的な範囲の改善も役立つ時が来るかもしれない。

はっきり言ってしまえば、最後の考査はかなり強引だ。今回の件の計画、実行、舵取りなどの役割はほとんどBが担っており、また、それまで彼は自分を偽り、相手に悟らせなかった。そういったある程度支配されていたという条件、話の前提を無視した上での考査。こういうものは意味が無いと僕に言う人も過去にいた。が、これは僕のやり方、経験則だ。

僕はあらゆることを自分で解決したいという欲望を持っている。それ故に、自分でも分かるほど人よりも歩む速度が遅い。これは対価の問題だ。普通の人が気にも留めないことに関心を持つ、そこに価値を見出している。Lifehackだとか車輪の再開発だとか、そういったことを気にしている人達を横目に僕は時間を浪費し、車輪の再開発をしている。他の人が何故そこで立ち止まらないのかは分からないが、そもそも行動の目的が違うのだから、人に合わせる必要は無いのである。これが僕の生き方だ。

Bは人に頼ることが自立だといっていた。この考えは僕の生き方とは相反する思想だ。もともと共存することは難しかったのかもしれない。もっとも、僕は正反対の思想の持ち主と共存することは、そんなに難しいとは微塵にも思わないが。

なんにしても、僕側の改善点も見つかったので一段落がついた。しかし、問題はまだ残っている。僕がコミュニティに排除された要因の分析がまだ不十分である。このシリーズの四回目で、僕はアノミーという用語を使って一応はこの問題を上手く説明しているが、このこの用語も所詮は他人が生み出した借り物の言葉。これでは何も解決していない。

一次情報と二次情報という概念がある。このページによると、“一次情報が報道や報道資料、二次情報はその手がかりとなる情報”とあるが、二次情報の一般的な使われ方としてはこちらのページにあるように、“一次情報や二次情報を要約したもの”のほうだろう。

二次情報はその定義の通り、人の手が加えられているので、基本的には一次情報のほうが価値が高い。しかし、それが事実かどうかとなると話が別だ。何故なら、そこには必ずどこかで人の手が加えられているからである。

1/14/2008

Do The True Dreams of The Best Friend? #7

言葉の有効範囲という概念をあの時の僕が持っていなかったらと思うと、とても恐ろしい。

例え ば、Bの幸福論によって折伏された時。もしこの概念が無ければ、僕の持っている幸福感と言葉の有効範囲で区別されないので、どちらが正しいのかという二元 論が初めから生まれていただろう。それを解決するために相手の理論を消すこととなり、殺し合いまでに発展した可能性だってありうるし、逆にそれを避けるた めに、白黒付けることから逃げて上辺だけの関係になっていた可能性もある。どちらにしても、実際の結末よりも酷いものだ。

例えば、Bが宣戦布告してきた時。もしこの概念が無ければ、彼の言葉の有効範囲に違和感を抱くことは無かっただろうし、その範囲を把握していない彼を見て、己の言葉ではないことも分からなかっただろう。そして、それによって彼の説得に応じていたかもしれない。

別 に他人の言葉を使うなといっているのではない。問題なのはその使い方なのだ。言葉が包括する範囲は実体化されないので正確に把握することは出来ない。どこ に向けた言葉なのか分からない、そんな曖昧なものではたして自分の脳内を現実に具現化できるのだろうか。自分の思考結果は自分で生み出した言葉でしか表現 できないのだ。

僕は彼の勧誘を断る時に、自分が何かをやるビジョンが見えない限りはそれをやらないということ を言った。もしかしたら彼はこの意味を理解できなかったのかもしれない。去年、MBLで活躍するイチローがヤンキースに移籍するという噂が一時期流れた。 その時に、マスコミが事実を確かめるべくイチローに真意を聞いた記事があったのだが、移籍の迷いの中で何を考えたのかという質問に対した答えを見て驚いた。

そのユニホームを着ている自分がイメージできるかどうか。そして、そのホームグラウンドに立ってプレーする姿が想像できるか。そうやって想像していくと最後にヤンキースとマリナーズが残った。
» 「イチロー「ヤンキース移籍考えた」 マ軍残留、夫人に背中押され」スポーツ‐大リーグニュース:イザ!

そ う、僕の姿勢とまったく同じだったのだ。本来、この領域に達した方が得られる価値観だったのである。僕は昔からこの考えに基づいて行動を決定してきた。自 分が生み出したものを理解するのは容易だ。しかし、そうでない場合、僕は知識のみでこの価値観を理解できる自信はない。

そ の言葉を言った後、Bは共存案を受け入れてくれたので、僕はその言葉を理解したと思っていた。そもそも共存しようと思ったのは、彼が折伏の過程で「幸せは 人それぞれ」という言葉を使ったので、彼が多面的な幸福観を持っていると思い、共存可能だと判断したからなのだが、最後のあの言葉でそれすらも借り物の言 葉だということが分かった。

もし僕がこのことをその場で見抜いていれば、その場で問いただしていれば、現実のように急激な展開は訪れなかったかもしれない。僕はこのことを一番悔やんでいる。

今 までの彼とは違うのだということは分かっていたはずだった。今の彼は思想を隠して自分を偽っていないということは分かっていたはずだった。なのに僕はいつ もと同じように、彼の曖昧な言葉を過去の彼の言葉を材料にしながら話してしまった。そして、最後の最後にやっと問題点に気が付いた。何だ簡単じゃないか。これは唯、僕の力量不足が引き起こした問題だったのか。