先日、ちょっとした出来事が起こった。これについて思ったことがあるので書こうと思う。
今年、年が明けて、メッセンジャーで新年の挨拶をしていった。その中で久々に旧友Aと会話を交わしたのだが、なにかAの歯切れが悪い。その時は特に気も留めなかったのだが、挨拶もひと段落した後に用を思い出して、Aにまたメッセンジャーで連絡を取った。いや、正確には取ろうとした。なぜなら、その短時間で彼から僕のアカウントからの通知を拒否されたのだ。所謂アク禁である。
普段なら、こんなことは気にも留めない。「ああ、また人間関係の構築に失敗した。」と思い、暇な時に何がいけなかったのかと考えを巡らせるくらいだ。しかし、今回は事情が違う。長年付き合ってきた気心が知れた仲間なのだ。
まず状況把握だ。Aとは一昨年までは結構会っていたが、去年は数回会うだけに止まっていた。その時のことを思い出すが、特に変わったことはしていない。と、考えたところで、ある一つの疑惑が持ち上がる。そういえば去年、ある別の旧友Bと決別したことを思い出した。
この旧友達は中学校からの友達で、中学校のときによく遊んでいた数人のグループに所属していた。僕もそのグループに入り、中学校を卒業してからも遊ぶことが多かった。で、このグループには今思うと不思議に思うことがある。彼らは、グループの中のうちの誰かと誰かの仲がこじれた時、共感できる側に一斉について他方を共通の悪とし、その悪をコミュニティから排除する傾向があった。
僕はこの共通の悪を作る行為にはいつも参加していなかった(何回かあった)。興味が無いし、コミュニティ内では一方の情報のみで判断して感情論が出るばかりで、話にならないと思ったからだ。なので、コミュニティから排除が完了したあとも、僕は排除された友達と会ったりした。
おそらく、その共通の敵を作ろうとしないことで、知らない間に僕のコミュニティでの立ち位置が不安定になっていたのだと思う。そんなときにBとの決別がくる。
Bと決別した理由は、あるときBから、Bがやっている宗教の折伏をされ、勧誘されたことだ。僕はその時、その宗教に対してかなり寛容に受け入れたつもりだ。宗教の集会に行ったし、BとB以外の宗教の信仰者と小一時間話もしたし、Bと二人で話して、お互いの意見を交換した。Bと本格的な集会に行くことを約束したが、後で断った。断る理由を説明し、彼は了解した。様に見えたが、違った。いや、彼そのものが変化したといったほうがいい。
急にやり方が変わり、攻勢を仕掛けては引っ込むという、よく言えば立ち回りがうまい、悪く言えばきたない、所謂ヒットアンドアウェー方式を使ってきた。僕はちょっとやそっとでは感情を乱さないが、これは流石にこたえた。これから先、これが続くのかと思うと、Bからのメールを見ただけで全身が痙攣し、息が苦しくなって心臓がしめつけられた。僕は生命の危機を感じ、Bの全ての情報を遮断してしまった。
こうなればあとは簡単だ。コミュニティの文化によって善と悪が決定され、悪の排除に収斂される。おそらくはこれが今回の問題の真相だろう。というより、情報が少なすぎてこれ以上の判断が出来ない。と、言ったほうがいいか。何にしても、自分の器がその程度だったというわけだ。
1/05/2008
Do The True Dreams of The Best Friend? #1
POSTED BY
MEGAMANI
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土曜日, 1月 05, 2008
Labels: life
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